経世済民戦線

財政出動や金融政策ではない、第3の経済政策を提案します(バナー広告が表記されますが当方とは無関係です。仮にDL表示があるバナーが出てきても無視を強く推奨します。)

所得税&法人税の2段階徴収制度(2)

 さて、所得税&法人税の2段階徴収制度のひな形については、以上のようになるわけであるが、この制度を通して消費性向を上げるだけでは、実はまだ経済にとっては不十分である。

 この記事では今まで省みられることの無かった、日本の公的年金制度の問題点に触れたい。

 問題点というのは、福祉政策視点のそれではない。

 経済視点だ。

 日本の公的年金の財政方式は、積立方式と賦課方式の折衷方式になっている。

 積立方式というのは、事前に国が制度加入者からお金を積み立て、将来、受給年齢に達したときに、支払う方式である。賦課方式というのは現役世代が納税したお金を原資に受給世代を支える方式である。

 さて現在の法律上、公的年金制度の財源は最終的に半分を税金で賄う方式で、半分は積立金で賄う事になっている。

 問題なのは、積立部分だ。

 積み立てられたお金は、受給世代に支給されるまでお金が、使われない状態になっていた。(そして財源が危機だからといって、なぜか運用するための機関を設立して投資に回された)

 以前に「有効需要(2)」の記事で述べたが、投資の本質は、供給能力(供給量)の増大であって、有効需要の創出ではない。

 投資とはなんなのかその本質も考えずに、企業に投資を促すのは、BtoBとBtoCでは投資費用の回収経路が異なるという事も踏まえてない、奇論・愚論なのである。

 公的年金を運用しているGPIFとは、サラリーマンや自営業者の加入する厚生年金・国民年金に与り運用する機関である。

 その資産構成で解るように140兆円ほどある。

 もとは全額現金だったが、現在は運用利回りを狙って株式や国債を買って、出た利益を足りない財源に充てているということになっている。つまり資産構成を見る限りは現金はほぼ無いといっていい。(株式については、持っている買い板枚数が巨大過ぎて、反対売買して現金確定益を出したことがほとんどないのではないか?という疑いを私は持っている。この運用についての疑問点については別稿に機会を設ける予定である。)

 140兆円、という金額が、需要側ではなく供給側に投下され、有効需要創出の機会を無意味に逸失してしまった、という事が見逃してはならない経済視点での問題点である。

 この金額が、完全賦課方式の下で受給に使う分だけ徴収されていれば、消費者の購買力がここまで減ることは無かった、実質家計収入が消費意欲がここまで減ることは無かったはずなのである。

 よく考えてみてほしい、サラリーマンの厚生年金で月額6万円(企業・個人の折半)、自営業者・非正規労働者で月額1万5千円が徴収されているのである。

 そして、需要創出能力の無い「投資」に回されてしまっているのだ。

 提案したいのは、公的年金制度の完全賦課方式の導入と、所得税&法人税の2段階徴収制度の、両頭制。

 完全賦課方式では、将来貰える年金が横並びになるのでは?という懸念があるだろう。

 心配は無用。

 マイナンバー制度により所得は完全に把握されることになる。

 将来の年金受給金額は、生活に必要な基本金(ベース)の支給と、現役時代に稼いだ生涯賃金(=経済貢献度)に応じて慰労金を支給する、2階建て方式を採用します。

(※慰労金の方は一応上限があります。青天井では財政もたないからね)

 完全賦課方式にして、貯蓄性向・消費性向を税の2段階徴収制度でコントロールし、消費市場において有効需要を爆発させるのである。

 超新星爆発を。

 お金に使用期限を設け、好景気を永続させ、非正規雇用を使わなければ利益構造を維持できなかった企業経営者の心配を無くすることで、非正規雇用問題を解決し、お金をキャッシュストック(貯蓄)ではなく、キュッシュフロー(絶対安定した収入)で保有する、という提案です。

 経済学では、お金に使用期限を設ける、という発想を何故か研究者の方々はしてこなかった。

 だが、貨幣経済以前の物々交換経済では、衣・食・住のうち、食の消費期限のために、物々交換は使用期限が有ったはずなのだ。

 食を財の交換手段として見た時、消費期限が過ぎて腐ってしまえば、労働によって産生されたはずの付加価値は喪失し、無に帰したはずなのである。(この点についての考証は、財の価値を追跡できる複式簿記の考えを用いて別稿に記事を設けたい)

 

 なお末尾になるが、消費税については8%据え置きか、引き下げるか、それとも増税するかについては、景気改善により2段階徴収制度導入で減った直接税収入分をどれだけ補えるか、またそれを超えて行けるかを見て、将来の調整課題とします。

 現時点で消費増税は反対です。

 (増税で政治家や官僚に使わせるより、消費者個人個人に消費させた方が経済効果・財政効果はあると考えます。不必要な助成金公共事業費も減らせます。草花に水をやるならジョウロで上からあまねく撒く方がいい。)

 

 

 以上。 

所得税&法人税の2段階徴収制度

 有効需要の確保について、私が提案するのは

 「所得税法人税の2段階徴収制度」である。

 

 簡単に言うと、「一部のお金に使用期限を設けて消費を強制する」というものであり、消費性向を80%にしたり、90%にしたりだとかいったことが確実に可能になる。(要は貯蓄のし過ぎは経済全体に害悪になるので、制限しますということ)

 乱暴に受け取られるだろうが、この施策が何故必要なのか、その制度のひな形について日本の公的年金制度の財政方式の問題点と絡めて以下に詳述していく。

 なお貯蓄(現金)に課税することは一切考えておりません。日本国憲法で保障された財産権の侵害に相当すると私は考えていますので、提案しません。

 

 所得税は現在、企業の従業員の場合は源泉徴収され、日給制や時間給制で働くアルバイターや、自営業者は自己申告で納税するが、源泉徴収する税の一部を、源泉徴収せずに可処分所得にする。この源泉徴収せずに可処分所得にした分を便宜上、仮に「乙種・可処分所得」とし、それ以外の従来制度上の可処分所得を、甲種・可処分所得とする。

 乙種・可処分所得については、たとえば2年などの法定期間を定め、その期間内に使われなかった残り全てを税金として徴収する。甲種・可処分所得については従来通りの自由に使える所得とする。

 このように税制を変更すると、おそらく、税金として徴収されるくらいなら使ってしまえ、と大多数の人間が乙種・可処分所得を法定期間内に使ってしまうはずである。乙種・可処分所得の分だけ、消費者の消費活動が大きくなるので、貨幣の循環速度が速まり、経済活動が活発化する。また、有期とはいえ、可処分所得が増大するので、所得税累進率を高くしても、働いても報われないという不公平感を緩和できる

 同時に、貯蓄されがちだった所得が、乙種・可処分所得の分だけ、さらに消費活動に回されるので、過少消費(=有効需要の逓減)に陥ることも無い

 しかし、制度を実現し機能させるにあたっては、いくつか課題がある。

 

 まず、納税者の所持している、甲種・可処分所得と、乙種・可処分所得を、一体どのようにして見分けるのかということである。そのまま制度を施行すれば、納税者の手に乙種・可処分所得が渡った時点で、甲種・可処分所得との見分けがつかない。なぜなら納税者が、これは甲種・可処分所得で購入した商品である、と言っても、見分けるための証拠が無いのである。

 そこで、甲種・可処分所得と乙種・可処分所得を見分けるために、普及しつつある電子マネーマイナンバー制度との紐付け導入を検討したい。

 電子マネーとは、貨幣や紙幣といった有形物ではなく、電子的なデータの貨幣や紙幣であり、無形物である。Edy(エディ)やSuica(スイカ)が代表的な例で、携帯電話の機種によっては「おサイフケータイ」としてシステムが搭載されているものもある。

 また、マイナンバー制度は個人に番号を与えて、個人の情報を一元に管理して、行政効率を向上させる目的のものであるが、電子納税システム(e-Tax)と情報を紐付けして、脱税・無申告を防ぐこともできる。

 これら、2つのシステムを使うのであるが、具体的には源泉徴収事務を行う者が給料を与えるときに、乙種・可処分所得を電子マネーとして渡し、同時にその乙種・可処分所得のデータを電子納税システムに登録(同時にマイナンバーシステムに記録)し、期限が来たら、自動的に徴税できるようにする。

 都市部にお住まいの方なら、Suica定期やPasmo定期を使っていらっしゃる方が居るはずだ。定期部分と財布部分の違いを電子的に分けて記録し、端末にかざすだけで即座に読み取り判別し、決済されるのを日常的に体験してらっしゃるはずだ。

 アレを想起してほしい。

 所得税法人税の2段階徴収制度は、技術上は可能なのである。

 そして、電子マネーの所有は、普及が急速に進んだ携帯電話や、所持していない人には、専用の電子カードを与え、それに所有させるようにする。電子マネーを使えるように、読み取り機を普及させる。とはいえ、電子カードと読み取り機の普及には、それ相応の事前投資が必要になるので、予算確保が課題になる。

 財政破綻する前に、余裕のあるうちにできるものなら準備を終わらせたい。

 

 次に、この2段階徴収制度を導入した場合に、問題になるのは消費性向である。

 所得が十分にある場合には、使用期限のついた乙種・可処分所得だけで満足な生活が成立し、期限の無い甲種・可処分所得が貯蓄に回ってしまう可能性があるということ。

 そうなると、年功賃金的な社会において限界消費性向を考えた時に、収入が大きい者ほど消費性向が7割~6割、あるいはそれ以下になるといった事態が、多々出てくるだろう。

 そこで、「乙種・甲種可処分所得の分配率についても累進性」を設け、使用期限付きの乙種・可処分所得の割合を全可処分所得に対し、大きく引き上げる。

 そうすれば、消費性向を任意の割合で大きく固定しつつ、労働者にはお金の使用機会が与えられることで、働いても報われない、という事は無くなるのだ。

 

 ただ、金額の大きい買い物ができなくなるではないか、という指摘が出てくるだろう。指摘は当然である。

 そこで、そういう買い物をする場合は割賦販売(分割払い)を利用されたい。

 ローンという事になるので、利子を嫌う人がいるだろう。

 この点については、制度を改定して、利子が低くなるようにしていくことを目指す。

 

 また、個人の所得税のみならず、企業の法人税についても、同様に稼いだお金に使用期限を設ける。

 ただ業界による諸々の事情の違いを考慮し、業界ごとに使用期限を2~5年の違いを設けるつもりである。なお使用期限については直感に基づいたもので根拠は無い。制度導入後の経済状況の変化、出てくる問題点・課題を見ながら、適切な使用期限について検証し直し、改定することはある。

 このように一部のお金に使用期限を設けることで、過度な貯蓄を抑制し、消費を促すことで企業の本業の儲けを促し、雇用を確保し、技術の継承をさせ、持続性のある社会を構築する事が可能である。

 我が国の現在のGDPはおよそ500兆円前後で推移しているが、その内、個人消費が占める割合はおよそ6割(≒300兆円)であると言われる。

 個人消費性向を6割から8割に引き上げ、金融商品の購入が一切無かったと仮定した時、GDPの増加率は(0.8÷0.6)で×300兆円で、およそ99兆円の増加が見込まれる。

 これに法人の消費性向の増加分を加味すれば、100兆円は余裕で超えると思われる。

 ※貯蓄可能額は年額で、可処分所得の最大40%から、最大20%まで制限されます。

 ※1段階目での所得減税措置を行わずに、消費性向だけを8割に上げた場合、消費税収はおよそ8兆円増えることになります。所得税収も増えますが、計算が複雑なので割愛します。

 

有効需要とは(2)

 では有効需要をどのように獲得すればいいのだろうか?

 

 ケインズ以降の経済学者が主張するのは、政府が直接消費者として公共事業を行う、消費者個人にお金を分配する財政出動金利の調整&流通する通貨量の絶対量を増やす、といった行為で投資促進させる施策が代表例として挙げられる。

 

 いずれの施策にも実は、致命な欠陥がある。

 まず財政出動には、企業や消費者個人の消費性向・貯蓄性向(※1)コントロールできないため、経済全体への波及効果に乏しいということ。

 (※1消費性向=収入のうち消費に回す分)

 (※1貯蓄性向=収入のうち貯蓄に回す分)

 消費者個人に直接、お金を分配する行為にも同じことが言える。

 不景気時には将来への不安から、貯蓄性向がどうしても高まるものである。

 特に収入が実質面で減り続けている時に、お金を分配しても、将来に対する不安を解消できるものではない。(→限界消費性向の低下:今ある収入からさらに収入が増えた時、消費に回る分)

 そして政府には無限の財政余裕があるわけではないので、そのような施策には持続性が無い。

 また、金融政策は、金融機関に影響を行使することで、企業への貸し出しを活発化させることを目的にしているが、そもそも、消費市場で有効需要が減っているときに、投資をしても意味が無い。

 投資とは、企業(供給する側)にお金を注入して供給力(供給量)の増大を図る行為であり、有効需要が減っている時に行うのは、供給過剰を促進するだけである。

 そしてBtoB企業はBtoC企業への商品販売で一時的に利益確保できても、BtoCは投資コストを直接、消費市場の個人個人から売り上げて回収しなければならない。

 BtoCがコストを回収できなければ、BtoBで掛け取引をしていると、売掛金回収できずに、結局、損失を計上することになる。

 昨今中国でバブル崩壊が云われているが、その原因に過剰供給問題が有るのは、投資家が絶対見過ごしてはならない点である。

 1929年に始まる世界恐慌も、発端は過剰供給が主要な原因の一つにある事は失念されてはならない。

 

 そして今までの経済学で省みられることの無かったのが、人間の年齢と、物質的に満たされた人間の効用の限界、及び労働賃金の年功賃金傾向の3点である。

 この3点が実は、最も経済が持続可能か否かの根幹を成している部分である。

 

 人間は齢を経ると、ある製品について類似の新商品を買わなくなる傾向がある。

 つまり「買い替え需要の低下」である。

 理由は至極単純で、新しく機能を覚えるのが面倒臭い、というのが大半。

 貴方の身の回りの年配者をよく見てほしい、その傾向が強く出ているはずだ。

 仕方ない、加齢に伴う「脳の委縮」は生物として避けることのできない要素なのだから。身体能力の低下は外出傾向も減らす。

 もう一つ注目しなければならない点が、物質的に満たされた人間の消費性向の低下。

 経済の発展途上においては、人々は自分の生活を豊かにしようと働き収入を得て、便利な電化製品を買ったり、家や、自動車を購入する。

 しかし、一度それらを購入してしまえば、しばらくそれを使い続ける。買い換えが発生するまでのタイムラグの発生が、ある商品についての市場の飽和をもたらし、後は買い替え需要だけの絶対需要減をもたらす。

 ここで加味して考えなければならないのは、消費者の収入である。

 日本では年功賃金制が完全ではなくなったとはいえ、まだその傾向が残っている。

 欧米でも、年功賃金制は無いと言っても、やはり熟練労働者というのは、経験年数に比例する傾向はあり、どちらかといえば収入は若者より、中高年の方が高くなる。

 

 齢を経るにつれ、そして物質的に豊かになるにつれ、消費性向は低下していくのに、賃金は逆に多くなる傾向がある。

 これではマクロで見た時に、有効需要が逓減していくのは自明の理である。

 ここで断っておきたいのは世代間批判をしたいわけではないということ。解決策を私は考えてあるので、後ほど述べたい。年配世代批判したところで自分も年配世代になるわけだし、自爆行為だからね。

 さて、話を元に戻す。

 人間の加齢による消費性向の低下と、物質的に豊かになることによる消費性向の低下、及び、加齢に伴って賃金が高くなる傾向、の3要素が、ある国家が発展途上を過ぎ、成長が鈍化していく、即ち経済の成熟化の理由である、と結論付けられる。

 経済成長し成熟して、低所得者層が減り中所得者層が増え、物質的に豊かになる者が増えるほどに、有効需要が逓減していき、供給量は相対して過剰になりやがて不況と呼ばれる水域になる。

(このように経済成熟によって発生する景気停滞・不況を、当ブログでは「先進国病」と定義します。)

 そして消費性向をコントロールできる施策が実施されない限り、不況が慢性化し、いずれは不況を誤魔化す経済施策が登場してくるようになるのである。

 中国のように株価を買い支えてみたり、日本のようにGPIFの運用構成を政府が変更してみたりだとか。

 あるいは為替誘導で自国通貨を安くして、価格競争力や、為替差益で誤魔化してみたりだとか。

 株や債券を買って投資をしても経済が成熟した先進国で意味が無いのは、投資の本質が供給量の増大でしかなく、有効需要の創出ではないから、というのは前述したとおりである。

 そして為替の誘導は、各国間で通貨安競争をもたらすだけであり、そこに量的緩和政策を乗せても、何らかで上蓋(※2)がされてない限り、内部経済要素として高インフレーションに移行する。

(※2日本では、貸金業法十三条の二第2項において、個人への貸し出しが年収の3分の1までと限定されており、企業の設備投資意欲不足=資金需要不足と併せて、強力な上蓋が形成されている)

 また昨今の途上国が先進工業国になれずに中進国の罠にハマるのは、日本などの先発の工業国が主に超大国アメリカへの輸出(さらに先発の先進工業国内の有効需要へ頼る)で一気に成長を貫抜くことができたからで、今の先進工業国はいずれの国も内需が不足しており、後発の途上国が先進国になるまでに必要な需要(輸出する側にとっては外需)が、不足しているからである。

 変えなければならないのは、消費性向・貯蓄性向なのである。

 この消費性向・貯蓄性向のコントロールが確実に確保されていて、はじめてその施策は「有効需要の創出」なのであり、

 

 「経済政策」である。

 

 

 

有効需要とは

 有効需要の定義は、研究者によってそれぞれ微妙に異なるが、「商品を売るとき(供給したとき)に、必ず売買が成立する(需要)」と言える。

 そもそも有効需要の概念が出発したのは、「総供給が総需要を作り出す(セーの法則)」という理論では、消費市場(※1)に在庫が存在すること、及び失業者が存在する事を上手く説明できなかったからである。

 (※1.消費市場とはモノやサービスといった商品を、企業と消費者が売買する市場のことです。金融市場とは分けて定義する必要が有るので、便宜しています。金融市場と分ける必要がある理由は、別稿にて追々説明します。)

 

 命題を立ててみよう。

 「供給したときに、需要は必ず満たされる(=需要は作り出される)」は真か偽か?

 真を証明するには全数を調べ検証しなければいけないので、偽を検証する。

 偽の場合は、反証をたった一つ提示できればいいというのは、高校の数学で習った記憶がある人も多いだろう。

 では偽について、卑近な例を挙げる。

 

 スーパーやコンビニの小売では、弁当やおにぎりといった食糧が販売されている。

 これらの食糧は、消費期限が設けられていて、期限内に売れなかった場合は、廃棄処分されることになっている。

 さて「セーの法則」に従い、供給していれば需要が発生するというのであれば、仮に消費期限を無視して販売しつづけるとしよう。食糧にはカビが生え、一年後には原型が何だったか判らない白い粉の付いた緑黒い塊(もはや土?)になっていても、消費者に果たして買われるだろうか?

 答えは否。

 買われるわけが無いのは自明の理。食えるわけないのだから。

 値下げをすれば売れるのでは?という意見が出てくるだろうが、値下げをして果たして消費期限が近い物と遠い物、両方並べられていたら、貴方ならどちらを買うだろうか?今までのあなたの生活ですべからく唯の一つの例外もなく、「そのように」買い物をしてきただろうか?

 たとえば牛乳1リットルパックが目の前にある。

 独り暮らしだったら一日で全て飲むわけではないはずなのに、10%値引きだからといって、古いものと新しい物どちらを買うだろうか?

 また値下げをしてしまうと、値下げを見こして買い控えが起き、結局採算割れで売価設定する羽目になると、小売側が経営が成り立たなくなるので、値引き割引を行いにくいのである。

 また予め数量を限定して仕入れ販売すればいいではないか、という意見もあるだろうが、それでは「需要量を予め何らかの理由で知っていた」ということになる。

 売れ残りは、天候や、周辺でのイベント、商品への安全志向度、消費者毎の給料日の違いなど、様々な理由で発生するものなので、予め正確無比な数量を予測することは不可能である。

 値下げしたら「採算が取れない」場合が出てくるでしょう?

 そもそも値下げしているのは、在庫になっているからでしょう?

 

 以上のように、「総供給は総需要を生む」というセーの法則は偽であることが証明される。

 上記では生活に身近な食糧を事例に挙げたが、製造物であれば電化製品などにも幅広く類例が見られるものである。

 現代の例になるが、パソコンや携帯電話といった製造物は、マイナーチェンジのスピードが速く、世代が旧いものは機能面で新しい世代に酷く見劣りすることがある。

 そして大幅に値引きしないと売れないという事になる。

 こういう現象を陳腐化といい、複式簿記上では陳腐化したものは、評価損を計上しなければならない。

 さらに売れなかったりすると除却損処理することになり、売価分が損失計上され、完全に廃棄処分されることになります。あるいは廃棄処理業者に安く売るということもある。

 「セーの法則」では長期的視点に立てば必ず売れると主張するが、「陳腐化」や「劣化」が具体的にどのように人々の消費行動に影響するのか、供給する側の採算に影響するのかを、実は全くシミュレーションしきれていない。

 そして小売り側の陳列棚には、無限の容量が有って、売上げ回転率の悪い商品で有ってもそのまま陳列し続けられると考えている。(これでは企業が新開発した新しい商品が置けないね)

 当に「長期的には我々はすべて死んでいる」のである。 

 

 在庫が何故存在するのか、失業者が何故存在するのか、「セーの法則」では説明できないからこそ、有効需要の概念が生まれ、J.M.ケインズらによって強く主張されるに至ったのである。

 

   

 

経世済民戦線の設立

 ブログを開設しました。

 政治、経済の問題に関して、思う事、考える事を綴っていきたいと思います。

 URLにkeiseizaiminsensenとあるのは、「経世済民戦線」を指しています。

 現在の政治にご不満な方々に、経済政策・財政政策ともに対案は有るのだ、という事を解ってほしい。「アベノミクスしかない」「量的・質的緩和(QQE)しかない」というわけでは、決して無いのだと解ってほしいのである。

 経世済民戦線は、「支持する国政政党が無い」と、嘆かれているこの日本国に住まうすべての方々の、企業の皆さん方の、受け皿になることを目指していきたい。

 当ブログをご覧いただいている方々と、一人でも多く、価値観を共有できる事を願ってー 2016年2月8日先勝

 

なお、個別のご質問・ご意見への回答は時間制約の関係上、今後の課題とさせていただき、今の時点では控えさせていただきます。ご了承ください。問い合わせの多い内容の場合、別途、記事を設けて補論させていただきます。