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経世済民戦線

財政出動や金融政策ではない、第3の経済政策を提案します(バナー広告が表記されますが当方とは無関係です。仮にDL表示があるバナーが出てきても無視を強く推奨します。)

先進国病~経済が死に至る病原~

 今回は「先進国病」についてもう少し掘り下げてお話します。

 以前にも何度か言及しましたが、経済が成長していくにつれ、成長が鈍化して低成長が恒常化し、不景気が慢性化しているのが、経済先進国です。

 なぜそのようなことが起きるのでしょう?

 

 経済は言い換えれば、人々の間の財の移動と定義できます。

 所得が増し、物質的に豊かになった人間は、あとは買い替え需要しか無くなってしまいます。

 それでも賃金というものは年齢とともに減るという事はありませんし、「老後のため」と言って人々は貯蓄を増やしてしまいます。

 収入とは言い換えれば、誰かの消費です。

 誰かが消費してくれたから、手元にお金が入ってきているわけです。

 皆が貯蓄を増やして、消費を減らせば何が起きるでしょう?

 考えてみてください。

 経済が成長しなければ、マクロ全体での賃金にも必ず上限があり、変わりません。

 どの企業だって採算が取れる範囲内で賃金体系が決まるのですから当たり前です。

 そこで、物質的に豊かになった人が、賃金(収入)を減らすことなく、消費を減らすと何が起きるでしょう?

 消費が減ると、企業の収入が減ります。

 採算ラインは変わっていませんから、豊かになった人の収入が変わらなければ、誰かの収入を減らさなければなりません。

 かくして、収入を減らされた人々の購買力は減り、消費市場における有効需要が減って、さらに景気悪化が加速していくわけです。

 

 よく景気対策として、企業に設備投資を促す意見が日本以外にも世界中で、さも正しいかのように平然と叫ばれますが、本当にそれは正しいのでしょうか?

 ① 「効用の限界」を無視していませんか?

 ② BtoCは個人消費無くして成立しない、BtoBはBtoC無くして成立しない、という事を無視していませんか?

 人間の行動には必ず動機・目的があります。

 何かを得るためには、何かを失わなければなりません。

 行動の結果失われるのは、体力や時間(買い物の時間や、使い方を覚える時間を含めます)。消費行動の場合はお金です。

 その失ったものと、結果、得たものが自分の中で釣り合いが取れていないと判断されれば、人は損をしたと考えるわけです。

 損をしたくないのが人情です。

 ですから、人は、行動をする前にまず、考えます。

 その行動によって、まず、何が得られるのか考えます。

 人によってはここで止まって、何を失うのかよく考えずに漠然と行動する人もいます。

 ですが最初に判断するのは、「何が得られるのか」です。

 「何を失うか」ではない。

 利益を最初に考えて、費用はあとから考えるのです。

 その最初の利益の考察部分で、何も見出すことができなければ、そもそも人は、それを得ようと行動しません。

 あなたがスマートフォンを持っていて、最近発売されたばかりの最新モデルと見比べたとき、機能がほとんど変わっていなくて、「自分には当面必要がない」と判断したら、買おうと思わないでしょう?

 効用の限界とは、得るものと失うものを秤にかけたときの(均衡点)を表し、得るもののほうが大きければ消費活動として現れ、有効需要(=購買力の実行)となります。

 この均衡点は、思慮深い人とそうでない人(損得勘定の強弱)で違いますし、物質的な欲求の強い人とそうでない人(虚栄心の強弱)でも違います。

 ですが、確実に言えるのは、物質的に満足した人が増えるほど、マクロ全体ではこの均衡点は、有効需要が下がる方向へシフトし続け、止まらないという事です。

 人は歳をとるほどに、脳が委縮し、思考が硬直化する。

 生物として避けられない運命のために、物覚えが悪くなる、忘れっぽくなる、目は老化が進んで視えにくくなる。

 新しく物を買って、使い方を覚えるのが面倒になる。

 物持ちが良いとは、一面的な見方で、実のところ消費に対して前向きではないだけと言える。

 

 本来なら、物質的な消費から、旅行や趣味のような、それ以外の消費へ移るはずが、製造業の不振によるマクロ全体の景況感の悪化のために、将来不安を掻き立てられ、消費を減らして貯蓄を増やす。

 そして貯蓄を増やしてしまうから、ますます景気が悪くなる。

 製造業(革新)→製造業(停滞)→サービス業→製造業(革新)→製造業(停滞)→サービス業…

 本来なら、このように需要(労働市場の需要も含む)が変遷するはずが、景気を悪化させているのが自分たちの貯蓄だと自覚できない消費者と、彼らの収入をキャッシュフロー化(流動化)しなければいけないことに自覚が足りない経済政策のために、最初のサービス業に需要が移るはずのところで消費の膠着状態がずっと続いている。

 ゲーム理論でいうところのナッシュ均衡だ。

 景気が悪いから貯蓄して様子を見ます→消費が減るからさらに景気が悪化しますの「死の螺旋」。

 

 

 個人の利益を最大化しようと行動した結果、マクロ全体で皆が同様の行動をとり、消費停滞が固定化し、いかなる経済政策も効果を出さない。

 現行の経済システムには、ナッシュ均衡を自律破壊する装置が付いていない。

 

 ナッシュ均衡を破壊することができるのは、「当事者同士の直接の話し合いによる同意」か、「ゲームルールの変更」しかない。

 社会を構成する人数が多いほど、当事者同士の合意形成は不可能(→直接民主制の弊害)なので、「ゲームルールの変更」しかない。

 

 だから、法定通貨に有効期限を設けて、1年間で貯蓄できる金額に上限を設ける、という方法以外、有効な解決策が無いという結論になる。

 

 よく考えてみてください。

 貧富の概念が人類史の中で如実に顕著になったのは、貨幣経済が生まれた辺りではありませんか?

 人類の生活に必要不可欠な、衣・食・住、このうち、食には消費期限があり物々交換経済では、人は容易に貯蓄などできなかったはずです。

 複式簿記でいえば、お金は財の交換手段。

 本来、財が移動することなく価値を喪失したとき、交換手段として発行された貨幣も同様に貸借対照表上から消却しなければならない理屈になるはず。

 そうしなければ数理上の価値を担保できない。

 ところがそうなっていない。

 有効期限が無い。

 使用期限が無い。

 貨幣経済は2000年以上前に生まれたのに、複式簿記が生まれたのは500年ほど前、ずっと後になって生まれた。

 貨幣経済と物々交換経済の違いをよく考察しないまま来たから、貨幣の本質も追究できていない。

 貯蓄ができてしまうという事が、何を意味するのか、今ここで、今この時代に振り返らずに、いつ振り返るのか?