経世済民戦線

財政出動や金融政策ではない、第3の経済政策を提案します(バナー広告が表記されますが当方とは無関係です。仮にDL表示があるバナーが出てきても無視を強く推奨します。)

有効需要とは(2)

 では有効需要をどのように獲得すればいいのだろうか?

 

 ケインズ以降の経済学者が主張するのは、政府が直接消費者として公共事業を行う、消費者個人にお金を分配する財政出動金利の調整&流通する通貨量の絶対量を増やす、といった行為で投資促進させる施策が代表例として挙げられる。

 

 いずれの施策にも実は、致命な欠陥がある。

 まず財政出動には、企業や消費者個人の消費性向・貯蓄性向(※1)コントロールできないため、経済全体への波及効果に乏しいということ。

 (※1消費性向=収入のうち消費に回す分)

 (※1貯蓄性向=収入のうち貯蓄に回す分)

 消費者個人に直接、お金を分配する行為にも同じことが言える。

 不景気時には将来への不安から、貯蓄性向がどうしても高まるものである。

 特に収入が実質面で減り続けている時に、お金を分配しても、将来に対する不安を解消できるものではない。(→限界消費性向の低下:今ある収入からさらに収入が増えた時、消費に回る分)

 そして政府には無限の財政余裕があるわけではないので、そのような施策には持続性が無い。

 また、金融政策は、金融機関に影響を行使することで、企業への貸し出しを活発化させることを目的にしているが、そもそも、消費市場で有効需要が減っているときに、投資をしても意味が無い。

 投資とは、企業(供給する側)にお金を注入して供給力(供給量)の増大を図る行為であり、有効需要が減っている時に行うのは、供給過剰を促進するだけである。

 そしてBtoB企業はBtoC企業への商品販売で一時的に利益確保できても、BtoCは投資コストを直接、消費市場の個人個人から売り上げて回収しなければならない。

 BtoCがコストを回収できなければ、BtoBで掛け取引をしていると、売掛金回収できずに、結局、損失を計上することになる。

 昨今中国でバブル崩壊が云われているが、その原因に過剰供給問題が有るのは、投資家が絶対見過ごしてはならない点である。

 1929年に始まる世界恐慌も、発端は過剰供給が主要な原因の一つにある事は失念されてはならない。

 

 そして今までの経済学で省みられることの無かったのが、人間の年齢と、物質的に満たされた人間の効用の限界、及び労働賃金の年功賃金傾向の3点である。

 この3点が実は、最も経済が持続可能か否かの根幹を成している部分である。

 

 人間は齢を経ると、ある製品について類似の新商品を買わなくなる傾向がある。

 つまり「買い替え需要の低下」である。

 理由は至極単純で、新しく機能を覚えるのが面倒臭い、というのが大半。

 貴方の身の回りの年配者をよく見てほしい、その傾向が強く出ているはずだ。

 仕方ない、加齢に伴う「脳の委縮」は生物として避けることのできない要素なのだから。身体能力の低下は外出傾向も減らす。

 もう一つ注目しなければならない点が、物質的に満たされた人間の消費性向の低下。

 経済の発展途上においては、人々は自分の生活を豊かにしようと働き収入を得て、便利な電化製品を買ったり、家や、自動車を購入する。

 しかし、一度それらを購入してしまえば、しばらくそれを使い続ける。買い換えが発生するまでのタイムラグの発生が、ある商品についての市場の飽和をもたらし、後は買い替え需要だけの絶対需要減をもたらす。

 ここで加味して考えなければならないのは、消費者の収入である。

 日本では年功賃金制が完全ではなくなったとはいえ、まだその傾向が残っている。

 欧米でも、年功賃金制は無いと言っても、やはり熟練労働者というのは、経験年数に比例する傾向はあり、どちらかといえば収入は若者より、中高年の方が高くなる。

 

 齢を経るにつれ、そして物質的に豊かになるにつれ、消費性向は低下していくのに、賃金は逆に多くなる傾向がある。

 これではマクロで見た時に、有効需要が逓減していくのは自明の理である。

 ここで断っておきたいのは世代間批判をしたいわけではないということ。解決策を私は考えてあるので、後ほど述べたい。年配世代批判したところで自分も年配世代になるわけだし、自爆行為だからね。

 さて、話を元に戻す。

 人間の加齢による消費性向の低下と、物質的に豊かになることによる消費性向の低下、及び、加齢に伴って賃金が高くなる傾向、の3要素が、ある国家が発展途上を過ぎ、成長が鈍化していく、即ち経済の成熟化の理由である、と結論付けられる。

 経済成長し成熟して、低所得者層が減り中所得者層が増え、物質的に豊かになる者が増えるほどに、有効需要が逓減していき、供給量は相対して過剰になりやがて不況と呼ばれる水域になる。

(このように経済成熟によって発生する景気停滞・不況を、当ブログでは「先進国病」と定義します。)

 そして消費性向をコントロールできる施策が実施されない限り、不況が慢性化し、いずれは不況を誤魔化す経済施策が登場してくるようになるのである。

 中国のように株価を買い支えてみたり、日本のようにGPIFの運用構成を政府が変更してみたりだとか。

 あるいは為替誘導で自国通貨を安くして、価格競争力や、為替差益で誤魔化してみたりだとか。

 株や債券を買って投資をしても経済が成熟した先進国で意味が無いのは、投資の本質が供給量の増大でしかなく、有効需要の創出ではないから、というのは前述したとおりである。

 そして為替の誘導は、各国間で通貨安競争をもたらすだけであり、そこに量的緩和政策を乗せても、何らかで上蓋(※2)がされてない限り、内部経済要素として高インフレーションに移行する。

(※2日本では、貸金業法十三条の二第2項において、個人への貸し出しが年収の3分の1までと限定されており、企業の設備投資意欲不足=資金需要不足と併せて、強力な上蓋が形成されている)

 また昨今の途上国が先進工業国になれずに中進国の罠にハマるのは、日本などの先発の工業国が主に超大国アメリカへの輸出(さらに先発の先進工業国内の有効需要へ頼る)で一気に成長を貫抜くことができたからで、今の先進工業国はいずれの国も内需が不足しており、後発の途上国が先進国になるまでに必要な需要(輸出する側にとっては外需)が、不足しているからである。

 変えなければならないのは、消費性向・貯蓄性向なのである。

 この消費性向・貯蓄性向のコントロールが確実に確保されていて、はじめてその施策は「有効需要の創出」なのであり、

 

 「経済政策」である。