経世済民戦線

財政出動や金融政策ではない、第3の経済政策を提案します(バナー広告が表記されますが当方とは無関係です。仮にDL表示があるバナーが出てきても無視を強く推奨します。)

有効需要とは

 有効需要の定義は、研究者によってそれぞれ微妙に異なるが、「商品を売るとき(供給したとき)に、必ず売買が成立する(需要)」と言える。

 そもそも有効需要の概念が出発したのは、「総供給が総需要を作り出す(セーの法則)」という理論では、消費市場(※1)に在庫が存在すること、及び失業者が存在する事を上手く説明できなかったからである。

 (※1.消費市場とはモノやサービスといった商品を、企業と消費者が売買する市場のことです。金融市場とは分けて定義する必要が有るので、便宜しています。金融市場と分ける必要がある理由は、別稿にて追々説明します。)

 

 命題を立ててみよう。

 「供給したときに、需要は必ず満たされる(=需要は作り出される)」は真か偽か?

 真を証明するには全数を調べ検証しなければいけないので、偽を検証する。

 偽の場合は、反証をたった一つ提示できればいいというのは、高校の数学で習った記憶がある人も多いだろう。

 では偽について、卑近な例を挙げる。

 

 スーパーやコンビニの小売では、弁当やおにぎりといった食糧が販売されている。

 これらの食糧は、消費期限が設けられていて、期限内に売れなかった場合は、廃棄処分されることになっている。

 さて「セーの法則」に従い、供給していれば需要が発生するというのであれば、仮に消費期限を無視して販売しつづけるとしよう。食糧にはカビが生え、一年後には原型が何だったか判らない白い粉の付いた緑黒い塊(もはや土?)になっていても、消費者に果たして買われるだろうか?

 答えは否。

 買われるわけが無いのは自明の理。食えるわけないのだから。

 値下げをすれば売れるのでは?という意見が出てくるだろうが、値下げをして果たして消費期限が近い物と遠い物、両方並べられていたら、貴方ならどちらを買うだろうか?今までのあなたの生活ですべからく唯の一つの例外もなく、「そのように」買い物をしてきただろうか?

 たとえば牛乳1リットルパックが目の前にある。

 独り暮らしだったら一日で全て飲むわけではないはずなのに、10%値引きだからといって、古いものと新しい物どちらを買うだろうか?

 また値下げをしてしまうと、値下げを見こして買い控えが起き、結局採算割れで売価設定する羽目になると、小売側が経営が成り立たなくなるので、値引き割引を行いにくいのである。

 また予め数量を限定して仕入れ販売すればいいではないか、という意見もあるだろうが、それでは「需要量を予め何らかの理由で知っていた」ということになる。

 売れ残りは、天候や、周辺でのイベント、商品への安全志向度、消費者毎の給料日の違いなど、様々な理由で発生するものなので、予め正確無比な数量を予測することは不可能である。

 値下げしたら「採算が取れない」場合が出てくるでしょう?

 そもそも値下げしているのは、在庫になっているからでしょう?

 

 以上のように、「総供給は総需要を生む」というセーの法則は偽であることが証明される。

 上記では生活に身近な食糧を事例に挙げたが、製造物であれば電化製品などにも幅広く類例が見られるものである。

 現代の例になるが、パソコンや携帯電話といった製造物は、マイナーチェンジのスピードが速く、世代が旧いものは機能面で新しい世代に酷く見劣りすることがある。

 そして大幅に値引きしないと売れないという事になる。

 こういう現象を陳腐化といい、複式簿記上では陳腐化したものは、評価損を計上しなければならない。

 さらに売れなかったりすると除却損処理することになり、売価分が損失計上され、完全に廃棄処分されることになります。あるいは廃棄処理業者に安く売るということもある。

 「セーの法則」では長期的視点に立てば必ず売れると主張するが、「陳腐化」や「劣化」が具体的にどのように人々の消費行動に影響するのか、供給する側の採算に影響するのかを、実は全くシミュレーションしきれていない。

 そして小売り側の陳列棚には、無限の容量が有って、売上げ回転率の悪い商品で有ってもそのまま陳列し続けられると考えている。(これでは企業が新開発した新しい商品が置けないね)

 当に「長期的には我々はすべて死んでいる」のである。 

 

 在庫が何故存在するのか、失業者が何故存在するのか、「セーの法則」では説明できないからこそ、有効需要の概念が生まれ、J.M.ケインズらによって強く主張されるに至ったのである。